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東京港の変遷

東京港の歴史

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東京港

東京港の歴史は、浅草にあった石浜湊から始まります。
現在の浅草は隅田川を廻り、東京港とも距離がありますが、
古代は浅草辺りが隅田川の河口だったのです。
浅草寺(せんそうじ)の起源は、推古(すいこ)36年(628)、
隅田川沿岸の漁師が海から観音像をすくいあげて、祭ったとあり、
この伝説からも、あさくさが海に近かったことがわかります。
また、浅草の松乳山(まつちちやま)は、隅田川に望む小さな丘で、
操船するときの浅草洲の目標とされていました。
石浜湊の位置は、現在の隅田川右岸の台東区橋場町付近になります。
鎌倉時代には、この石浜湊が港湾として発展していました。

品川湊

品川湊は目黒川河口にできた湊です。
その河口には入り江がなく遠浅だったため、大きな船は沖合に停泊し、
小舟を使って荷役していました。
品川湊は海上交通の要衝となり、商業地として栄え、
中世には伊勢-品川間の海上交通が確保されて、伊勢商人が活躍していました。

大田道灌の築城と江戸湊

12世紀に秩父の武家であった秩父家継(ちちぶいえつぐ)が、
日比谷の入江に臨む台地に江戸館として大きな屋敷を構え、江戸氏を名乗りました。
日比谷入江は現在の皇居近くまで深く入り込んでいて、
入江に注ぐ平川(現在の日本橋川)河口には江戸湊ができました。
しかし、江戸氏は14世紀後半から次第に衰退していきました。
室町時代(15世紀)には、関東管領(かんれい)家に扇谷上杉家が任命され、
その扇谷上杉家の家宰(かさい)(家老)の大田道灌が、
康正(こうしょう)2年(1456)から長禄(長禄)元年(1457)にかけて、
江戸氏館跡に江戸城を築城しました。
道灌が江戸城を築城したころ、江戸湊(現在の常盤橋(ときわばし)付近)は賑わい、
米や魚、薬といった日常生活に必要な商品の交易がおこなわれていました。
江戸築城と江戸城下の賑わいに伴って、南の品川と東の浅草もそれぞれ繫栄していきました。

東京港の変遷

東京港は、江戸時代から沖合に向かって拡大し続けてきました。
特に、高度成長期には大規模な埋め立てが実施され、港は、大きく変貌を遂げました。

中世

中世の頃、現在の中央区・江東区の大半は海で、
日比谷周辺も日比谷入り江と呼ばれる海だった。
日比谷という地名は、海苔を養殖させるときに使う木の枝「ヒビ」に由来している。

中世~江戸初期

徳川家康は、江戸に入るとすぐ日比谷入り江を埋め立てた。
その後も、神田山を切り崩し、日本橋浜町から新橋までの埋め立てを行った。
江東区方面の埋め立ては、慶長元年(1596年)から始まった。

江戸初期~江戸末期

寛永年間(1624~1644)以降、隅田川河口の小島が徐々に埋め立てられ、
越中島地域が形成された。
火災の瓦礫(がれき)を処分する為、現在の江東区東陽あたりの海面をうめたてて、
新たに土地が開発された。
幕末には品川台場が建設された。

江戸末期~明治末期

東京港の水深を確保するため、浚渫(しゅんせつ)工事が行われた。
この工事で発生した土砂によって、佃島・月島・勝どきが埋め立てられた。

明治末期~戦後

隅田川河口の航路浚渫(しゅんせつ)による土砂で、
月島、芝海岸通り、芝浦一帯の埋め立てが行われた。
明治33年(1900)4月から、ごみの処理を東京市が統一して行うこととなり、
江東区塩浜、枝川が埋立地となった。
大正12年(1923)の関東大震災の瓦礫(がれき)処理で江東区豊洲などが埋め立てられた。
京浜運河の開削に伴う羽田空港地先の埋め立ては、
昭和14年(1939)に始まったが、
第二次世界大戦で中断した。
戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が、
東京港の埠頭全域および臨海地域の大部分を接収したため、
埋め立て事業も中断された。

高度経済成長期

東京港修築工事によって、豊洲埠頭と品川埠頭が造成され、
晴海埠頭が拡張された。
東京都の人口、産業などの集中化に伴う住宅、環境、産業廃棄物に対処するため、
江東区辰巳、東雲(しののめ)、有明、台場の埋め立てが行われた。
さらに、東京港の物流機能を拡張させるため、
大井コンテナ埠頭、青海(あおみ)コンテナふ頭が造成された。
ごみ処分場として、江東区潮見、夢の島が造成された。

高度成長期後~昭和末期

昭和46年(1971)以降は、江東区若洲、中央防波堤内側、羽田沖、中央防波堤外側がごみ処分場として埋め立てられた。
都市部から発生する土砂類や東京港の浚渫工事から発生する土砂を埋立地の埋め立て材や盛土材として活用した。

平成元年(1989)~現在

羽田沖埋立地の西側が埋め立てられ、国際空港として利用される。
さらに、中央防波堤外側廃棄物処理場の東側が埋め立てられた。
新海面処分場が」最後のごみ処理場となっている。

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