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品川区の歴史

品川区のあゆみ

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先史・原始時代

縄文時代には居木橋貝塚・大森貝塚など目黒川河口から南の海岸線に集落が営まれ、弥生時代には東五反田池田山付近にて方形周溝墓を伴う集落が営まれました。
そして粉品時代には東大井・南品川で古墳が造られました。

奈良・平安時代

12世紀中頃、大井氏が品川・大田区の一部を所領とし、後に品川清実が品川郷を相続し、1180年に源頼朝に服属するまで続きます。

鎌倉・室町・戦国時代

このころ品川湊が繫栄し、寺院の創建・再建が相次ぎます。
そして時の将軍徳川家康が関東8ヶ国を領国
として江戸に入りました。

江戸時代

この頃東海道第一の宿としての旧東海道品川宿場が設置されにぎわいます。
1651年には鈴ヶ森刑場が置かれ、町の整備の一環として品川用水が作られます。
この頃に海苔の養殖も盛んになり始める。
1717年には、御殿山に桜が植えられ江戸名所となりました。
戸越では孟宗竹の栽培が始まり、筍が特産物となる。
そしてペリーが浦賀に来た嘉永6年(1853年)6月、幕府が英龍を
勘定奉行吟味役という役に任命し、品川台場の築造が始まります。

品川区の成立

東京と横浜を結ぶ第一京浜国道が開通し、1932年(昭和7年)荏原郡品川町・大井町・大崎町の区域に品川区、荏原郡荏原町の区域に荏原区を設置し東京市は15区から35区となりました。
太平洋戦争が始まり、昭和18年東京府と東京市が合併し、東京都となりました。
そして終戦。
品川・荏原両区の戦災者は20万人以上、死傷者は約5千人にのぼったといわれます。

品川区の成立以後

京浜工業地帯発祥の地として日本経済を支え、独自の工業技術を持つ町工場、活気溢れる商店街を今に伝える中延・武蔵小山地区、
個性ある企業各社、歴史的な街の財産から未来への素晴らしい財産まで幅広く存在している街になりました。

区名の由来

様々な言い伝えがあります。
目黒川の古い名称が品川と呼んだのが始まりとする説。
上無川(神奈川の語源)に対し、下無川(しもなしがわ)が略されて品川とする説、様々です。

荏原(えばら)「続日本記」に武蔵国荏原郡と出る程、古い地名で、
地名は一説に荏胡麻(シソ科の一年草で「え」「しろじろ」とも呼ばれます)の繫茂する原に由来すると言われています。

江戸時代には武蔵国二十二郡の一つで現在の品川、大田、目黒と世田谷の大部分を含んでいました。
明治22年に戸越、中延、小山、上・下蛇窪が平塚村となり、
昭和元年に平塚町となりましたが、神奈川県の平塚町と混同するため、
昭和2年に荏原町と改称し昭和7年に荏原区となりました。

更に昭和16年には、中延、戸越、小山の一部で荏原町が復活して、
この街をメインに再構成したのが現在の荏原です。

品川区の歴史と伝統

縄文時代~古墳時代

品川区区域に人々が暮らし始めたのは、今から6~7千年前も縄文時代にさかのぼります。
武蔵野台地の東端にあたる品川区には、目黒川・立会川の流域に縄文時代前期から後期の貝塚遺跡が発見されています。
なかでも大森貝塚は、1877年(明治10年)にアメリカの動物学者
E・Sモース博士によって発掘調査が行われ、考古学発祥の地として、
全国的に知られるところとなりました。
古墳時代以降を含めると24箇所の遺跡が存在します。
品川区では、品川区のの歴史に関わる貴重な文化財を保護する為、
仏像や古文書、石造物などの文化財や遺跡の調査を行ってきました。
これらの成果を基に、先人からの資料を保存するだけでなく、
広く区民の皆さんに紹介するため、1985年(昭和60年)に
品川歴史館を開館しました。
・大森貝塚 品川区大井6-21-6

奈良時代~平安時代

奈良時代から平安時代にはいり、品川区付近には都(みやこ)と国府を結ぶ古代の東海道が通っていたと推定され、
大井には中継点としての駅家(うまや)があったと考えられています。
この時代から交通の要地となっていた事がわかります。

鎌倉時代~室町時代

さらに、鎌倉幕府の御家人、大井氏・品河氏によって開発が進められ、
南北朝時代には伊勢をはじめ各地から商船が入港する品川湊が賑わいました。

室町時代に入ると武士や商人が寄進した寺院が軒を連ねる町が造られ、
人と物資が行き交う武蔵国の表玄関としての地位を獲得しました。

江戸時代

江戸時代の品川は、五街道で最も交通量が多い東海道の最初の宿場として栄えていきました。
品川宿は、江戸四宿のうち唯一、海に面した宿場であり、
名所や魚介類の名物が多く、風光明媚な地として、四季折々に
江戸市中から多くの人々が訪れたのです。

幕末になると、品川台場の築造をはじめ英国公館焼き討ち事件など
歴史の舞台ともなりました。

明治時代~近代

明治になり品川は、いち早く鉄道が敷設され、官営「品川硝子製造所」が
設立されるなど近代工業の先駆けとなり、
京浜工業地帯の発祥地として発展していきました。

関東大震災以前は一層開発が進み、田畑が宅地や工場へと変わり、
私鉄が次々と開業し、区域全体が都市化していきました。

第二次世界大戦の空襲で区域の多くが焼野原となりながらも、
はやばやと戦後の復興を遂げ、近年では、
工場跡地などの再開発により新しい街が作られ、
産業や文化の伝統を守るとともに、
情報発信都市として世界に大きく羽ばたこうとしています。

伝統とまつり

品川のまつりは、長い歴史を持っています。
そして、今でも当時の活気をそのままに引き継がれています。
神輿が練り歩き、お囃子が聞こえてくると、心が騒ぎます。
まつりは、時代を越えて人々の心をかきたててくれるようです。
特に夏から秋にかけてはお祭りが多く、
区内の賑やかさはひとしおです。
また、寺社では、季節の移り変わり毎に多彩な行事が行われ、
昔からの伝統が今でも息づいています。

夏祭り神社名秋祭り神社名その他の行事行事名
5月袖ヶ崎神社9月旗岡八幡神社3月27日・28日千躰荒神祭り
(海雲寺)
6月品川神社
(北の天王祭)
9月小山八幡神社11月27日・28日千躰荒神祭
(海雲寺)
5・6月荏原神社
(南の天王祭)
9月戸越八幡神社4月・11月の第2土曜日虚空蔵尊の大祭
(養願寺)
6月貴船神社9月三谷八幡神社7月1日に近い日曜日品川富士山開き行事
6月厳島神社9月氷川神社8月13日千灯供養
(養玉院)
8月天祖諏訪神社9月上神明天祖神社
8月鮫洲八幡神社9月下神明天祖神社
8月居木神社10月雉子神社
10月誕生八幡神社
10月鹿嶋神社

品川神社の概要

社号品川神社
祭神天比理乃咩命(あめのひりのゆめのみこと)
配祀素戔嗚尊(すさのうのみこと)、宇賀売命(うがのゆめのみこと)
末社阿那稲荷社、御嶽神社、清滝弁財天社、浅間神社、猿田彦神社
例祭日6月7日に近い金曜~日曜日
住所品川区北品川3-7-15
備考元准勅祭社※1、東京十社※2、郷社、東海七福神※3の大黒天

※1准勅祭社一覧

富岡八幡宮府社東京都江東区富岡1-20-3
芝大神宮府社東京都港区芝大門1-12-7
山王日枝神社官幣大社東京都千代田区永田町2-10-5
赤坂氷川神社府社東京都港区赤坂2-10-5
根津神社府社東京都文京区根津1-28-9
神田神社府社東京都千代田区外神田2-16-2
白山神社府社東京都文京区白山5-31-26
王子神社郷社東京都北区王子本町1-1-12
六所神社(大國魂神社)官幣小社・武蔵国総社東京都府中市宮町3-1
鷲宮神社県社埼玉県久喜市鷲宮1-6-1
品川貴船社(品川神社)郷社東京都品川区北品川3-7-15
品川貴船社(荏原神社)郷社東京都品川区北品川2-30-28

注 品川神社(旧北品川郷稲荷社)か荏原神社(旧南品川郷貴船社)のいずれかですが、双方とも准勅祭社を名乗っています。

※2東京十社一覧

富岡八幡宮深川八幡宮江東区富岡1-20-3
芝大神宮芝神明(府社)港区芝大門1-12-7
山王日枝神社山王権現(官幣大社)千代田区永田町2-10-5
品川神社(郷社)品川区北品川3-7-15
赤坂氷川神社(府社)港区赤坂2-10-5
根津神社根津権現(府社)文京区根津1-28-9
神田神社神田明神(府社)千代田区外神田2-16-2
亀戸天神社東宰府亀戸天満宮(府社)江東区亀戸3-6-1
白山神社(府社)文京区白山5-31-26
王子神社王子権現(郷社)北区王子本町1-1-12

※3東海七福神の概要
東海七福神は、昭和7年に品川が大東京市に編入された記念として東海七福神初詣が定められました。旧東海道品川宿通りに点在する7寺社を参詣します。

大黒天(有富蓄財)品川神社品川区北品川3-7-15
布袋尊(清廉度量)養願寺品川区北品川2-3-12
寿老人(延命長寿)一心寺品川区北品川2-4-18
恵比寿神(愛敬富財)荏原神社品川区北品川2-30-28
毘沙門天(勇気授福)品川寺品川区南品川3-5-17
福禄寿(人望福徳)天祖諏訪神社品川区南大井1-4-1
弁財天(芸道富有)磐井神社大田区大森北2-20-8

品川神社の由緒

社伝によれば、後鳥羽天皇の文治3年(1185)に源頼朝が安房国洲崎明神を勧請した。
元応(1319)当国の守護二階堂出羽入道道蘊(どううん)が、当社の神威を感じて、
本社を新たに造立した。
応永年中(1394)当郷の住人鈴木正清入道幸純が当社を深く崇敬して、
永享4年(1429)社殿の造営を行った。
長禄年中(1457)大田道灌が江戸城に入り、文明10年(1478)6月に、
自ら牛頭天王を勧請して神事を怠慢なくつづけた。
後北条氏も崇敬し、数度にわたり修理を加えられた。
天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、
翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜った。
後に南貴船社(荏原神社)と朱印争いをおこし、2石5斗ずつに分けたのである。
寛永14年(1637)に東海寺建立のとき、当社地の内南の方が御用地となり、
以来本社以下神主宅まで幕府によって修造され幕末に至った。
現在元禄7年焼失の時、造営奉行戸田能登守忠直が、社伝等悉(ことごと)く造営した。
社前に建てた制札が残されている。(品川区の文化財より)
また、本殿には東海七福神の大黒天が祀られています。

品川区の歴史についてもっと詳しく知りたい方はこちら

品川歴史館

住所:品川区大井6-11-1電話番号:03-3777-4060
開館時間:9:00~17:00(ただし入館は16:30まで)
休館日:年末年始、月曜日および祝日

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