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大田区の歴史

大田区の歴史

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海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置し、人が住みやすく交通の要路でもあった大田区は、
大森貝塚、多摩川台古墳群、池上本門寺五重塔など多くの史跡が点在し、
水止舞や禰宜(ねぎ)の舞などの伝統芸能も多く残されています。

江戸期は農漁村で、特に海岸の大森・糀谷・羽田地区では海苔(のり)の養殖が盛んに行われ、東海道の街道筋は人馬の往来で大変賑わいます。
大正期以降、中小工場が進出すると、低地部は住宅や工場が密集する
商業・工場地域となり、京浜工業地帯の一部となりました。
関東大震災後台地部は住宅化が急速に進み、田園調布、雪谷、久が原など
緑の多い住宅地となります。
臨海部は埋立地からなっており、羽田空港をはじめ京浜トラックターミナルやコンテナふ頭、大田市場などの物流施設のほか、工場団地、野鳥公園など都市機能施設が整備されています。

大田区名の由来

昭和22年(1947)3月に、当時「大森区」と「蒲田区」と呼ばれた地域が合併し誕生したのが大田区の始まりです。
大森、蒲田の両方の一字ずつを取って命名されました。
大田区の前身である大森、蒲田の両区は、ともに昭和7年(1932)10月に、
当時の東京市へ隣接する郡町村が編入された際に設置されました。
馬込・東調布・池上・入新井・大森の5つの町が大森区に、
矢口・蒲田・六郷・羽田の4つの町が蒲田区になりました。

大田区の歴史についてもっと詳しく知りたい方は

大田区立郷土博物館

住所:大田区南馬込5-11-13
電話番号:03-3777-1070
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜日、年末年始

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